どうでもいいこと

特に流れのない文章なので読んでもあれかも。


多分、そろそろ人間を実力で上回ったといえるようになるコンピュータ将棋ですけど、そうすると、そっから先どう研究するのかな、という話になると思います。
もちろん強さの極限を目指してはいくのでしょうけど、個人的には人間らしくとか、人を楽しませる将棋的なものも目標の一つになってくるのかなと思います。


どっかの新聞に『コンピュータは点でばかり考えて、流れのある将棋がさせていない。そこがだめ』というような話がのってました。
確かに、流れの概念のようなものは、コンピュータには出来ない分野、というよりは、(あんまり)やっていない分野です。(多分)
何故かというと、ソフト開発者よりの人たちは、大抵『純粋に強さを求めるならば、将棋は本質的に点のゲームである』という風に考えているからです。(多分)
歩を歩かせて局面Aに到達しようが、銀を打って局面Aに到達しようが、全く同じ局面Aだよね、というわけです。
実際コンピュータ将棋では、トランスポジションテーブルと呼ばれる技術(局面をハッシュ化してホニャララ)で、読みの中に現れる同一局面を統合しています。


けれど、人間らしい手を指そうとするなら、純粋に強さを求める手法をあえて捨てることも視野に入れていいんじゃないでしょうか。
コンピュータ囲碁だとモンテカルロ法のシミュレーションの偏りや報酬の与え方で棋風を表現出来たりするんですが、そんな感じで勝敗以外のベクトルからアプローチすれば、将棋の方も流れの再現が出来たりするかも。
前後の自分や相手の指し手を局面データに含めたり、探索木の打ち切り方に前回の読み筋で影響与えたり、教師データを棋風で分類したりとかで……。最後のもうあったっけ?
出来るのかな。いや、どうなのかなー。出来るのかな―。出来るのかな。どうなのかなー。
私が日記書きながら考えた手法でいけるかはともかく、何か頑張れば人間らしい流れのある将棋を指すってのもそのうちいけるんじゃないですかね。
まあ私将棋の研究はしてないからあれだけど……。将棋の研究するにしても、『人間らしい手を打つ』って評価実験めんどくさそうだからやらないけど……。
いや、棋譜との一致率でいいのかな……。どうなんですかね。